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第85回 しまなみ日帰り紀行
今治~尾道~大三島~大島~今治 
 
 映画監督の大林宣彦の『ぼくの瀬戸内海案内』を読んで、梅雨の季節にしまなみ海道に出かけた。今治から尾道に渡り、帰りは大三島や大島を気ままに巡った後、フェリーボートで今治にもどった。

 町のしわ

 『ぼくの瀬戸内海案内』(岩波ジュニア新書)は、少年や少女たちのために書かれた本だけに次代に対する思いのこもった本だ。大林監督が故郷の尾道を舞台にして撮った一連の映画にまつわるエピソードや、新しくつくられた「しまなみ海道」に対する率直な見方が、わかりやすい自分の言葉でつづられている。故郷の町や瀬戸内海固有の風景や文化についてのあたたかく人間的な視点の大切さがはっきりと打ち出されていて好感をもった。
 人も町も年月を重ねて顔にしわをつくる。父や母の顔のしわは自分を育ててくれた記録であって美しいものだと自分は思う。町のひび割れた瓦屋根や崩れ落ちた土塀も町がそこで育った自分とともにした年月の記憶につながるものであっていとおしく思うのだと大林監督は言う。風土の持つさまざまな制約の中で、先人たちが幸せを求めて、一生懸命に知恵を働かせ工夫を重ねながらつくりあげた生活文化の深さを味わい訪ねることが旅の目的だと大林監督は言うのである。急にしまなみ海道や尾道に出かけてみたくなった。思いつきの日帰りの旅で、過去から現在、未来へと連なる故郷の姿を思い、ゆっくりと橋でつながった島々の風土や生活文化をたずねることは願うべくもないが、なるべく気持ちだけはのんびりいこうと出発。

 尾道の路地
 小雨の降ったり止んだりの中、昼過ぎに来島海峡大橋を渡って尾道に急いだ。大島、伯方島を過ぎ大三島へ。世界最大の斜張橋という美しい多々羅大橋を過ぎて生口島へ、因島、向島と経て尾道の市街に入った。松山を11時過ぎに出て、午後1時半過ぎに着いた。
 商店街の中の駐車場に車を止めて尾道ラーメンの有名店朱華園に入った。店は昼を過ぎたせいかめずらしく空いていた。先に勘定をすませ番号札をもらって席に着く。この流儀はガイドブックにのって客が殺到したことに対する苦肉の策であろう。チャーシュー麺と餃子を食べた。この店の脊脂の入ったラーメンが私は好きだ。スープの味が日清のチキンラーメンにどことなく似通っているのも気安い心地がする。
 遅い昼をすませ、店の前の道を海に向かって下った。尾道には戦前の建物がかなり残っていて、町の表情が深い。陰影がある。歩いていると旧い友人と話しているような落ち着きと親しみを感じる。左手の市役所別館の古風な建物のある道に入ると、一気にタイムスリップしたような町並みが現れた。煉瓦を積んだ蔵や看板建築の農機具店、歴史を感じさせる酒屋。思わず眼を奪われる。山手に向かって細い路地に入った。大林監督が愛惜する尾道の路地である。裏長屋のような2階建ての建物が軒をくっつけるようにして向き合っている。1階がお好み焼き屋だったり居酒屋だったり。ちょつと広がった空間に井戸や路地尊がある。生活の匂いが強く漂ってくる濃密な空間だ。平行して走る路地に移った。痩せた猫が2匹家の前で寛いでいたが不意の闖入者に驚いて家と家の透き間に隠れた。
 歩き始めると、次々と魅力的な路地が現れるが、きょうは、先を急ぐ旅である。わずか30分ほどの路地散歩を終えて車を止めた駐車場を目当てに道を下った。
 大山祇神社
 車に乗って尾道の川のような海に沿った道を走り、しまなみ街道に向かう。次々と魅力的な町並みが現れ、尾道に後ろ髪を引かれるような思いがしてくる。町を離れる間際に浄土寺の前を通るあたりでは引き返したくなるような気さえした。
 向島に渡り、来た道を走って多々羅大橋の斜張橋を過ぎ大三島インターで高速道路から降りた。道の駅を過ぎ、まず宮の浦港に向かう。大山祇神社には、宮の浦港から海を上がった正面に立つ一の鳥居からのアプローチをとりたかったのである。
 大三島インターからは遠回りになるが海に面した大山祇神社へは海からの参道こそがふさわしい。桟橋の通路も朱塗りの回廊風につくってあって、宮の浦港が神社への正面玄関であることを思わせる。
 近くに車を置いて、一の鳥居をくぐり、参道を通って境内入口の二の鳥居まで歩いた。2つの鳥居にかかる神額「日本総鎮守大山積大明神」の字は三蹟の藤原佐理筆の写しという。参道の両側には土産物屋や民宿などが続き小さな石灯籠が両側に等間隔で置かれている。二の鳥居脇に伊藤博文が揮毫したという社号標がある。ハルピンで横死した伊藤が最後に揮毫したものという。緑につつまれた境内に入って、先ず社務所左手にある歌人能因の雨乞いの歌で知られる楠を見た。「天の川苗代水にせきくだせ天下ります神ならば神」。「神よ、神様ならば天の川の堰を切って田に水を落とせ」というずいぶん強引な歌であるが、雨が降って日照りに悩む島人たちがことなきを得たという伝説が今も生きている。
 境内の中央にそびえる樹齢2,600年という大楠を過ぎ拝殿へ。参拝の後、御神籤を引いたら13番凶が出た。文面を読むと、身を正しくしていれば、今はつらいが何れはよくなるということであった。
 なるほどと、気を取り直して国宝館を拝観、子供の頃に夢中になった戦記物の主人公たち、義経や頼朝が奉納した鎧や、胸のふくらんだ鶴姫の冑もある。鎮西八郎為朝の弓などの実物も初めて見ることが出来た。それぞれの甲冑や刀剣などの細工、意匠の素晴らしさに驚く一方で、遠い平安から鎌倉の時代がとても身近に感じられたのも得難いことだった。箱物のケースに入った陳列品を見て感動したことはほとんどないが、大山祇神社の国宝館は特別だ。施設は小振りだが、内容が濃い。武具を身につけ使っていた武将たちの面影が眼に浮かぶようであった。
 フェリーボート
 神社を出て、大三島で製塩工場のやっているあたらしい洋風の名の海水温泉に入った。湯につかって、ゆっくりと思いながらも先を急ぐこととなる。伯方島を過ぎて大島へ。しまなみ海道から旧町内に入って、先日、奥さんが大島出身という知人から美味しいときいた醤油味噌醸造元に立ちよってみた。宏壮な醸造蔵と煙突が健在で、すぐに場所がわかった。おすすめの濃口醤油を仕入れて通りに出ると、トラックでお得意さんをまわる島の魚屋さんが1人のご夫人の注文に応じて魚をさばいていた。えそなど新鮮な地物の小魚が荷台の氷室に並んでいる。断って写真を撮らせてもらった。
 こと志と異なり、ますます旅はあわただしくなる。次は、隈研吾の設計になる亀老山の展望台だ。曇っているために眺望は期待出来ない。急勾配の道をぐるぐると上る。頂上近くの上りは空に向かってゆくような感じだった。展望台は高知県檮原町の雲の上ホテルを設計したこともある隈研吾らしいといえば、「らしい」デザインだった。とにかく晴天にこそ来るべきところである。意気下がる思いで展望台を下った。
 いよいよ旅も終局だ。吉海いきいき館のそばのフェリー乗り場に向かう。そろそろ午後5時半のフェリーの乗船時刻。ほんとうは来島海峡大橋よりもはるかに料金が安いし、今治港に着くので今治の市内に行くのならずっと便利なのである。船は来島海峡大橋のすぐ下を通るから橋の美しい姿をゆっくりと海上から眺めることが出来るという利点まである。名所めぐりのせわしない旅の気分に追い込まれかけていたが船に乗って元気挽回。わずか20分ほどの豊かな時間が過ぎると、今治港に到着した。
 しまなみ海道には四国と本土を結び、経済と効率性を求めるというたいせつな役割もある。パーキングエリアで土産物を買って、島々を駆け足で通り過ぎる旅もあっていい。しかし島は橋桁ではない。少ない人数でそれぞれの島が持つ個性的な風土や文化を味わいながら欲張らず、時間をかけて巡る楽しみ方もあるだろうという思いに誘われた。次は自転車でゆっくりと来たい。

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1996-2012


宮の浦港と一の鳥居
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尾道市役所別館

朱華園のチャーシュー麺と焼餃子

伯方島の塩ラーメンの店でタコの天ぷらをおやつにしていた女学生

吉海町の醤油味噌醸造元

来島海峡大橋を行くサイクリストたち

トラックでお得意さんを回る大島の魚屋さん

吉海町いきいき館と今治を結ぶフェリーボート。橋を渡るよりも割安で風情がある。行き帰りどちらかは利用したい。