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第82回 鷹子温泉の散歩道
 
松山市鷹子 
 3月末、桜が開き始めた日曜日に、中学時代の友人Nの案内で鷹子温泉の周辺を歩いた。四国巡礼の札所浄土寺から里山に登り、書家三輪田米山ゆかりの日尾八幡神社に下った。都市化の波をよそに今なお緑にめぐまれたすばらしい散歩道である。帰りには鷹子温泉につかり、演芸場の旅芝居を楽しんだ。

 長屋門の道
 あたたかい陽気の日であった。午前9時半過ぎに鷹子温泉に近い、Nの家の前の空地に車を置いて、歩きはじめた。田圃がそのまま宅地化して、水路の脇のあぜ道がそのまま道になったような細い道を2人でぶらぶらと行く。鷹子温泉の前を通り過ぎ、伊予鉄道横河原線の踏切を越え、車の多い旧国道11号線を渡って向かい側の細い道に入った。旧国道沿いはビルやマンション、コンビニ等が目立ち、やや雑然とした風景だが、一歩、中に入ると、大きな構えの農家があって、田圃や畑が、奥の里山のふもとまで広がっている。道ぞいに何軒か続く農家にはいずれも長屋門がある。年を経た落ち着いた感じのもの、新しく建て替えられたばかりの豪壮な雰囲気のもの、住居用に少し改築して門の部分だけが旧態を止めるものなど、それぞれに趣が異なっていておもしろい。
 長屋門の農家が途切れた先の小さな田圃の角を左に曲がり、ほんの少し下ると浄土寺の山門(仁王門)が見えた。
 浄土寺は真言宗豊山派四国霊場第49番の札所である。寺の縁起には天平時代、孝謙天皇の勅願寺として創建され、後に源頼朝が再興したとあるそうだが、室町時代に兵火にかかって失われた本堂が再建された頃に真言宗の寺院に転じたという。
 門前で、参拝に訪れた白装束のお遍路さんの一団をやり過ごし、山門の仁王像を拝見した。慶派の仏師の作と言うが、風格のある力強い仁王様である。ところが、向かって右側の阿形の仁王像には眼球がない。両方の眼窩がぽっかりと、えぐられたように黒く沈んで見える。ちょっとすさまじい感じで、驚いて見入っているとNが横から「これはなあ、人に聞いたんやけど、ほれ、寺銭いうやろうが。昔、この寺がその博打寺になってな、大繁盛しとったんやと。そのときにな、博打を打ちに来た悪い奴が目が出るようにいうてこの仁王さんの目玉をとってしもうたいうんじゃ。それからこの仁王様の目玉がないなったんじゃと」。目が出るように目玉を盗ったとも、負けた腹いせに八つ当たりの石をぶつけたともいわれるが、江戸時代に、この寺が公許の博打場として賑わっていたのは事実のようだ。
 空也谷
 山門をくぐって、石段を上がり、本堂にお参りする。Nが般若心経を読んでくれた。Nはすでに学生の頃に四国巡礼を終えていて、50を越えた今年までに3度88カ所をまわっている。Nが早口で唱える般若心経をそばで聞いていると、ふだんとは別のなんとなく、ありがたい雰囲気がただよって来た。
 Nにしたがって本堂の左手から寺の背後の山に続く道を登った。地元の人たちが道の西側の谷間に広がる蜜柑畑のあたりを空也谷と呼んでいる。「このあたりに空也上人が庵を結んどったんじゃと」とNが教えてくれる。案内板を見ると、空也上人は天徳年間(757年から)の3年間をこの寺で過ごし、村人の尊敬を集めたという。よく知られた京都六波羅密寺の空也上人像と同じ形の彫刻が浄土寺の本堂にもあり、国の重要文化財に指定されているそうだ。その像は上人が寺を去るときに自刻して残したものと信じられている。六波羅密寺のものと無心に念仏を唱える上人の口から小さな阿弥陀仏が虚空に吐き出されている形は同じであるが、六波羅密寺の像が青年僧空也の面影を写しているのに対して、浄土寺のものは、老年にさしかかった上人の風貌を伝えるものである。山門を上がったところに子規が明治29年に詠んだ「霜月の空也は骨に生きにける」という句の碑もある。
 日尾八幡
 空也谷を左に見ながら、墓地の間の道を登るとすぐ尾根に出て空が開けた。道が左右に別れ、それぞれに小高いピークがある。右手に上がると牛峰山新四国88カ所と浄土寺公園。左手に登ると展望台があって、そこから日尾八幡神社に下る道があるという。最初に新四国まで上がり、とって返して、左の階段が切ってある尾根道を登った。木で組み上げた展望台に上がると、右手に城山や松山市街が見え、興居島や瀬戸内海もやや霞んで見えた。少し休んでから、日尾公園への道を下る。クヌギやもちの木がしげる林の中を下るこの道がNのお気に入りの道だという。ゆっくり下って10分ほどで日尾公園。伊予鉄健康ランドから少し下れば、日尾八幡神社。私たちは日尾八幡の石段を登り、鳥居の前に建つ石柱に書かれた、書家三輪田米山の「鳥舞、魚躍」の豪宕自在な字や、社寺建築にかけては稀代の名人と言われた宮大工窪田文治郎が復元した素晴らしい楼門や拝殿などを見た後、鷹子温泉に急いだ。
 旅芝居
 急いだのは、Nと鷹子の演芸場に行き、旅芝居を見ることにしていたからである。芝居開演の11時がそろそろ近づいていた。木戸銭は入浴券付きで1,000円。これで温泉と芝居と歌と踊りの歌謡ショーが楽しめるのだから安い。私たちは、老人倶楽部の団体の人たちの脇に席をとり、「人情出世桜」というのを見た。登場人物は七人。人情劇を縦糸に、客席の反応を巧みに取り入れながら、イラク戦争批判やお客を魚にした冗談も織り込んで見せる。登場人物があっという間に死を遂げる荒唐な筋立てだが、「あれっ、いいのかな」と思うまもなく話が、急展開して大団円を迎える。拍手とおひねりの嵐。
 念願の旅芝居を見た後、湯につかり、温泉の食堂にあるおでん屋さん「赤丹」でおいしいおでんを食べた。鷹子は半日でゆっくりと、いろいろな楽しみ方が出来る町だ。雨が降れば湯につかって1日過ごしてもいい。

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日尾八幡神社楼門
地元鷹子生まれの宮大工の名工窪田文治郎が昭和39年に復元。楼門上に2体の神像がある。窪田は大正時代の岩屋寺太子堂、浄土寺の山門から、昭和に入っての、繁多寺本堂、大宝寺庫裡・客殿、高知の秋葉神社楼門など数多くの寺社建築を手がけた。窪田は「郷土・仕事・妻君」への3惚れを信念としていたそうだ。
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新しい長屋門

浄土寺境内大師堂

空也谷から日尾八幡へ続く道

Nが好きな散歩道

日尾八幡の石段

日尾八幡鳥居手前の石柱にある三輪田米山(1821~明治41)の書「鳥舞 魚躍」。米山の書は「王義之を学び、王義之を脱す」と言われた。米山は酒好きの個性溢れる書家であっただけでなく自宅に私塾を開き国学と儒学を講じた。墓は浄土寺にある。

鷹子温泉園芸場の旅芝居

日尾八幡の古い狛犬。角がある狛犬はめずらしい。

日尾八幡神社入口の遍路道しるべ