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第103回 大洲城散歩
 
愛媛県大洲市 
 正月の休みに、大洲に出かけた。再建された天守閣に初めて上がり、城を取り囲む町を歩き、かつての内堀や外堀の跡をたずねた。

七五三
 去年の夏、大洲城天守閣の復元工事が完成した。多くの人からすばらしい出来映えだとは聞いていたが、親譲りの天の邪鬼な性格が災いして、なんとなく、「ぴかぴかの新しい城なんて」という反感がもたげ、少しも足が向かなかった。しかし、用事で大洲に出かけ、肱川橋を渡る時には再建された天守閣の姿をたびたび目にしていた。
 それは、決してぴかぴかではなく、とりわけ大洲の重い霧が掛かった朝や、小雨に煙る日などには古色があふれ、どことなく歴史を重ねた風格さえ感じさせられた。そして、その新しい天守閣は、周囲の景色にぴったりとおさまっていた。
 去年の11月に、大学の先輩たちと小さな旅行をした。そのときに、たまたま同郷の先輩がいて「再建された大洲城に行ってきた。あれはなかなかよくできておった。」と話しかけてきた。先輩は若い頃熱血漢として知られた一本気で佶屈な性格の人である。古文書を解読したりする歴史学者で、去年、大学を定年まで勤め上げて退官した。去年の10月に中学時代の友人たちと内子の高橋邸に泊まり、古い町並みを散策してから大洲にまわり、新しい天守閣を見てきたそうだ。その時は、ちょうど、「えひめ町並み博」の最中で何処に行っても観光客がひしめいていたという。
 先輩は、ぼんやりと話を聞いていた私に「あっ、そうじゃ思い出した。大洲城の天守閣はすばらしいできやったが、ぼくには2つ疑問があった。1つは、天守閣の中に上棟式の祭具が飾ってあったが、あの線が6本、5本、3本になっておった。あれは、七五三が決まりの筈じゃが、なぜ6本なのか。まちがっておるのではないかと気に掛かった。もう1つは、階段の勾配が最初の2層がどうも少し緩い気がする。」と言う。どう思うかと、聞かれたが、そんなことは私に聞くのがお門違いで、もともと知るわけがないし、第一その天守閣に上がってもいないのだ。七五三はともかく、階段の勾配などは緩やかな方がいいに決まっている。面食らっている私にはお構いなしに、先輩は「君は、愛媛に住んどるんやから、もどったら、ぜひ見てきなさい。そして、ちゃんとぼくに報告してくれないかん」などと言う。面倒なことになったなと思っていたら、その内、酒の酔いとともに、その話もどこかに飛んでいってしまった。

城の中の町を歩く
 同郷の先輩の話が少し気にかかって、正月休みに大洲に出かけてみた。町中にある観光客用の駐車場に車を停め、志保町界隈を歩いた。昔の町割りをそのまま伝える細い道の両脇には、古い和菓子の店や茶舗、提灯屋さん、文具店などが軒を並べている。骨董屋さんを覗いたり、時々立ち寄る和菓子店でお茶をご馳走になった後、国道を越えて大洲城に向かった。市民会館の前を通って、右に入り大手門の跡を過ぎて左に曲がった。右手の空き地の向こうに2軒の民家が並んで建っていて、その屋根のすぐ上に新しい大洲城の天守閣が見えた。民家のベランダには洗濯物がきちんと干してある。のどかで、ほのぼのとした雰囲気である。城が辺りを睥睨している感じではなく、歴史的な建造物である城の中に普通の暮らしが自然な感じで、同居しているといった風情だ。こんな所はそんなにないのではないかと思った。私は無理に整えて拵えた風景よりはるかに好ましいと思う。城と人々の生活の場が一体化したのは、明治6年に全国の城郭の存廃が公示され、大洲城が廃城と決って以降のことという。明治21年には天守閣が解体され、多少の曲折を経ながら内堀や外堀も埋め立てられ、宅地や公園などになっていったという。苧綿櫓(おわた)、台所櫓、高欄櫓、南隅櫓の4つの遺構の他は城が人々の暮らしの中に溶け込んでいったのである。今度、天守閣が再建されたために、残された遺構と城の中核である天守閣の位置関係を容易に視認できるようになった。町を歩いていると、そこここで天守閣が顔を見せ、自分が城郭の中を歩いているのだという感じがよくわかるようになった。大洲城のスケールを実感出来るようになったと思う。

天守閣
 緩い坂を5分も上ると天守閣の入口に着いた。吟味された美しい桧を用い、昔とかわらぬ構法で再建された天守閣の内部は見事なものであった。最上階に上がると、たしかに上棟式の祭具が飾ってあり、線の本数も先輩が言った通りであった。築城の模様をジオラマにした楽しい展示などを見た帰りに、係りの人に一応先輩の言った七五三が果たして正しいのかどうかたずねてみたが、よくわからなかった。
 「よみがえる大洲城」というパンフレツトをもとめ、天守閣を出た。もと来た道を下って、裁判所の前を通り、三の丸の跡にある大洲高校に向かった。大洲高校のグランドは昔の外堀の跡である。美しい南隅櫓と石垣が健在なので、グランドの端に立って天守閣を眺めると昔の城の大きさがよくわかる。
 以前は台所櫓が見えるだけだったが、天守閣が復元されたおかげでぐっと景色にめりはりがついた気がする。もちろん、肱川から見た城もいい。大洲八幡神社の方角から見た城もいいが、私はこのグランドから見た景色がますます好きになった。そして、やはり城には天守閣があった方がいい。そう思った。

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1996-2012


かつて外堀であった大洲高校グランドから南隅櫓と天守閣を見る。城のスケールが実感できる。
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城と民家が同居する風景

「中江の水」三の丸跡の大洲高校には陽明学者中江藤樹の邸跡があり井戸が現存する。

大洲高校の中江藤樹像
「知行合一」

志保町界隈の骨董屋さんで