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第93回 続々岩松紀行
 
 
 地域雑誌『谷根千』(谷中・根津・千駄木)の編集人として、又森鴎外や樋口一葉、林芙美子などについての著作でも知られる森まゆみさんが岩松で講演をするという。せっかくの機会なので、久しぶりに獅子文六ゆかりの大畑旅館に泊まり、町並みや周辺を巡ることにした。

 魚市場と富士山
 「続々岩松紀行」と書いたが、実際には岩松の町を何度訪れたのかわからない。自分の生まれた土地でもないのに、この町の雰囲気をとても懐かしく感じる。おおらかで気取らない人気、明るく豊かな風光と落ち着いた町並みのせいもあるだろう。昔、従兄弟がこの土地で教職についていたことや、亡父の中学時代の同級生がこの町に暮らしていたこともあるかもしれない。とにかく、私は岩松に来ると、かつて少年であった頃の放埒で明るく、温かい南予(南伊予)の気風がよみがえってくる気がするのである。
 朝7時過ぎに吉田町の自宅を出た。快晴である。前日に強い風が吹いたせいか、ことのほか空気が澄みわたっている。宇和島市の入口で国道が少し混雑したが、それでも市内を過ぎ、松尾トンネルを抜けた時はまだ八時前だった。岩松橋を渡り、川沿いに少し走って、大きな松の木が枝を延ばす、大畑旅館の駐車場に車を止めた。玄関にまわって今晩の宿をたのんだ後、すぐ、近くの魚市場に向かう。中にはいると、競りの真っ最中。建物は2、3年前に建て替えられたが、顧問の川口さんも、長い「競り棒」を持ったロマンスグレーのおじさんにも変わりはない。魚を取り巻く人たちの顔ぶれも何となく見覚えがある。近くの漁師の人たちが少しずつ、新鮮な魚や貝を運び込んで、次々と競りに掛けられて行くのも同じだ。生き生きとした人々の表情や飛び交う冗談、交わされる会話のおもしろさも相変わらずだ。
 魚市場で元気をもらって外に出る。すぐ脇の駐車場の石垣にある富士山の形をした石を探した。すぐに見つかる。この石のことは、大畑旅館のご主人大畑勝照さんに教えてもらった。道路が舗装された時に、石垣の下半分が埋められてしまい、富士のすそ野の部分は隠れて見えないが、当時の石工の技術とセンスの良さにはほんとうに驚かされる。
 獅子文六の部屋
 石垣の写真を撮って、一旦大畑旅館に戻った。大畑旅館には、戦後疎開した文六の家族が仮寓した岩松の豪家小西家の分家(通称「東小西」)の邸の1部が現存する。
 大畑さんに断って、獅子文六が書斎に使った部屋を見せてもらう。「13年前 この部屋にて原稿を執筆 岩松にて 獅子文六」という色紙や、「思ひきや伊予の涯にて初硯」の句の短冊などが無雑作に掛けてある。
 私小説の『娘と私』に「2階は四間あったが、東側の六畳を私の書斎と定め、疎開して戦災を免れた、僅かな書籍を列べ、机を置いた。西側の4畳半を、麻里の部屋にした」とあるそのままの間取りである。窓からの風景もほぼ昔のままであろう。西側の手前の部屋に『てんやわんや』の一節を墨書した新しい軸がかけてあった。
 大畑旅館以外にも、岩松の町内や近郊には獅子文六の『てんやわんや』や『娘と私』をはじめ、多くの小説や随筆の「舞台」や「題材」となった風景が現存している。私は、久しぶりに小西家の本家のあたりや、商店街、臨江寺のあたりをゆっくりと歩いてみた。ここ数年の間に、新しいモダンな家が建てられたり、駐車場になったところもある。表通りから細い路地に入ると、タイムスリップをしたような古風な民家が健在であるのに出会うこともある。
 白い蔵造りの民家の軒の上に広がる空を眺めたり、子犬を連れて歩くおばあさんの向こうに見える石垣の美しさに見とれたりしているうちに時間があっというまに過ぎていく。
 「文化」
 さんざん歩いて、講演会の前に、早めの夕食をすませた。相変わらずのごちそうである。蛤のおつゆ、朝、魚市場で見た「ヒイラギ」の酢の物、イトヨリのそうめん、牡蠣フライ、ヒラマサの刺身などなど。しかし、森さんの話なら、眠くなることはないだろう。
 講演会は7時半に始まった。入口には映画『てんやわんや』のスチール写真や、岩松港の昔の風景写真などが飾られていた。
 森さんは、国の文化審議会の委員を務めているせいでもあるまいが、まず、文化とはなにかという話をされた。高階秀爾や司馬遼太郎の定義を枕に、森さんの文化論と町並み保存活動の経験が森さんらしい率直で、暮らしの匂いがする平たい言葉で語られた。『てんやわんや』の舞台が人々の記憶の手がかりをたくさん残す町として保存されるようにとの趣旨であったと思う。
 宿に戻り、獅子文六は岩松でどんな「文化」と出会ったのであろうかという思いにとらわれた。文六の唯一の私小説である『娘と私』に、岩松で文六と妻と前妻の娘の麻里が、妻の叔父に借りた海辺の畑を耕す印象的な一節があるのを、ふと思い出した。3人の中で娘の麻里だけが、無欲で心の明るく、お世辞を使えない自作農の叔父から「ホウ、麻里さんが、1番、よう、鍬を使いなさる。麻里さんのなさるのが本式ですらい」と鍬使いを誉められるのである。
 「文化」は「カルチャー」の訳語で、西欧では地を耕して作物を育てることが文化の原義であると考えられているという。文化というと芸術や美術、文学といった心を耕す方向に考えが向きがちではあるが、「農業を、文化としてとらえてみると、そこには驚くばかりの現象が満ちみちている」(『栽培植物と農耕の起源』中尾佐助)のは否定することの出来ない事実である。
 文六は食を求めて疎開してきた岩松で、人間が生きるために「食べ物」を生産する文化と始めて作家として真摯に向き合う機会を得たのではないだろうか。青年時代、フランスで演劇を学び、フランスで暮らし、フランスの娘と結婚した文六は日本人としてはめずらしい、真の国際人であった。その文六が、この地方の農事や農村生活にまで目を向け、方言や、民謡、口碑、行事などをノートにとったり、青年達の協力を得て新しく採集したりもしたという。これは作家としての存在をかけた真剣で正直な「田舎」の文化への傾倒であろう。この文六の姿勢がユーモア小説『てんやわんや』に結実したものにちがいないと思う。
 日本の農村が育んだ「生産する文化」は、産業構造の変化によって、とうの昔に私たちの暮らしの中から姿を消してしまったかに見える。自然を相手とする農業も企業経営のように行われる時代が来たことは誰でも知っているし、「田舎」を自称するこの地方でもそれは例外ではないだろう。海山の自然と産物に恵まれたこの地方でさえ、完全な地産地消は夢に近づきつつあるのである。
 しかし、『てんやわんや』を読むと、私たちは、南伊予の豊かな風光と温かく伸びやかな人気に出会い、今は現実に生きたかたちでは目にすることがむずかしい「生産する文化」の姿を身近に感じることが出来る。そして、それらは単なる舞台やモデルに終わることなく、文六の比類なき文業によってフィクションに昇華されているので、現実の町並みのように、ことさら根のない「消費の文化」をまとわされて、姿が目まぐるしく変わる気遣いもないのである。

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1996-2012


岩松川に面した大畑旅館と岩松の町並み。大畑旅館では獅子文六が仮寓した部屋がそのまま客室として使われている。郷土料理も素晴らしい。
(大畑旅館は1泊2食8000円から。
TEL(0895)32-2121
郷土料理は前日までに予約のこと。)
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競りが終わり、魚を店に運ぶ。

岩松魚市場の競りの風景。『てんやわんや』の世界が現前したような気持ちがする。

岩松魚市場の競りの風景。『てんやわんや』の世界が現前したような気持ちがする。

小西家の屋敷跡に残る富士山の石垣。

大畑旅館2階。文六が書斎に使った部屋。

近家の灯台の下でアサリや岩カキを採る人たち。

岩松橋。映画化された『てんやわんや』のまま。

大畑旅館の裏の路地。

作家森まゆみさんの講演。