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- 吉田町の玉津湾から高森山(右)と法華津峠(鉄塔の右) -  
第139回 国道378号線自転車紀行 その1
 宇和島市吉田町~西予市明浜~三瓶~八幡浜市真穴~保内~大洲市長浜
 
 このところ、自転車が脚光を浴びている。国道378号線はツーリングには最高の道だ。秋風の心地よい好天の土曜日に、海やまの風景を楽しみながら伊予吉田から長浜まで走ってみた。

 (それぞれの写真をクリックすると大きくなります)
ロードレーサー

- B-SH0P Ochi の店長越智健二さん -

 最近、自転車がブームである。南予地方を車で走っていると、独特のヘルメットをかぶり、リュックを背負って走るマウンテンバイクのツーリングの若者、ロードレーサーにのってタンデム走行する一団とよくすれ違う。年齢層もだんだん上がってきているようだ。定年退職後に、車を併用して日本の海岸線の全走破をめざしているという人にも出会った。お遍路さんの装束で自転車にまたがっている人もよく見かける。もちろん、自転車が隆盛なのは愛媛の南予、もっと言えば日本のみに限ったことではない。自転車のよさが見直されているのは、健康や自然環境を考えないでは生きられない時代の要請にあっているからにちがいないし、ガソリン価格の高騰もいくばくかの影響を与えているだろう。しかし、理由はともあれ、私の住む南予地方に自転車で旅をする人の姿が驚くほどふえたことだけは間違いのないことである。
 実は、私も昨年春から、減量のためにマウンテンバイクで近くの山や岬を走り、取材の時も出来る限り自転車を使っていた。走行距離が6000キロを越えた今春、自転車雑誌「チクリッシモ」の編集長をしている友人がしつこくすすめるので、思い切って西条市の自転車店、B-Shop Ochiの越智健二さんに相談してロードレーサーを購入することにした。既成のカーボン製で軽く、「ロングライド」という長い距離を走るのに適した車種。ハンドルも日本人の体型にあったリーチの短いものに交換してもらった。ギヤは、コンパクト・ドライブという足弱の初心者にもなんとか漕げるものにした。ハンドルには、緩衝材のついたカメラケースを取り付けてもらい、タイヤは、耐久性があってパンクに強いユッチンソンというメーカーのチューブレスタイヤにしてもらった。最初は細いタイヤに慣れず、歩道の段差や砂の浮いたカーブで何度か転んだが、3ヶ月ほどたって、やっと慣れた。
伊予吉田から
 ロードレーサーのタイヤに空気を入れる。7気圧かっきり。水筒に氷を詰めて水を満たす。競輪選手が被るようなヘルメットを被り、サングラスをかけ、着替えを詰めたリュックを背負って準備完了。陣屋町の旧町内を午前9時前に出発する。ふだんとはちがうあやしい出で立ちだが、自転車に乗る時は人の目は気にしていられない。川沿いのジョギングコースの道から中学校の前を通り、国道378号線に出た。

- 明浜のちりめんじゃこ -

 国道に出てガソリンスダンドのカーブを右折、左手に、ため池を見ながら、ゆるい坂を登りきり、ミカン畑の間を抜けると、短い急な下り坂。ふた曲がりを、めったに来ない対向車に注意をしながら下ると玉津湾沿いに出る。国道とはいえ、しばらくは一車線で細い道だ。空は晴れ渡り、海を囲むように高森山や法華津峠がくっきりと見える。
 国道56号に出るT字路のところから道が拡幅されている。近くの「もりた菓子舗」に寄って「黒まん」という黒砂糖の餡のまんじゅうをもとめる。一つ頬張り、残りをリュックに入れる。登って下り、右手に長屋門が見えてくると、玉津宮野浦の集落だ。2007年4月に「みかん研究所」がオーブンした。元の愛媛県果樹試験場南予分場が、栽培や育種の研究機能を集約し,消費者のニーズに応えた新品種や栽培技術を開発するための中核施設として拡充整備され改称されたものである。


- 狩浜付近から鬼が城連山 -


- 玉津湾を見下ろす上り -


 深浦トンネルを抜け、玉津深浦、池の浦と過ぎる。風は逆風だが、それほど強くはない。しばらく走ると俵津だ。郵便局や交番のある、やや大きな集落である。俵津の町を抜け、渡江、狩浜と2つの漁村を過ぎると、道がどんどん上りはじめる。少しずつ標高を稼ぐ。遠くに鬼ケ城連山が見え、左には戸島、嘉島、日振島が見えている。海がずいぶん下に見えるようになったところで自転車を止めて写真を撮る。みかんの色はまだ青い。カーブの曲がり鼻にある「お伊勢山」という10メートルほどの小山の先から道が下り始める。折角登ったのに一気に下り、また海面が近づいてくる。アップダウンは疲れるが、海と山が迫った景色は抜群だ。平坦になった道を少し走ると高山の大早津海岸。海水浴場の手前右手に、青白い石灰岩の岸壁が見えてくる。かつて明浜町の主要な産業であった石灰製造の原料である石灰石の切り出し場の跡である。石灰は、近世・近代の庶民生活には必需品で、土蔵の白壁に塗る漆喰の原料や、瓦のつなぎ、船底の垢止め(水漏れ防止の目地材)、肥料などと、さまざまに用いられた。大早津海岸は、夏は海水浴場として賑わい、キャンプ場や「はま湯」という塩湯の温泉もある。

断崖の道

- 大崎鼻への上りから見た砂浜 -


- 断崖の道 -

 大早津を過ぎ、役場や小学校のある高山本浦に入る。高山港が石灰積み出し港として賑わったころの家並みが今も僅かに残っている。湾に沿って走り、高山宮野浦を過ぎ、宮野串から岩井という集落に入ると道の右側に、かつて石灰石を焼いて、石灰を作った石灰窯の跡がある。石積みの窯口の前に軽トラックが停められている。少し行くと道は右に曲がりながら上り加減になって、海沿いに続く断崖の下を通る道になる。海面に近い1車線の道の上に、今にも崩れ落ちそうに、網の掛けられた断崖が覆いかぶさっている。海岸にそった道を再び上っていくと道の勾配が少しずつきつくなり、再び長い上りが始る。ひたすらペダルを漕いで、ぐんぐん高度を稼ぎ、景色をたのしみながら、苦しいのぼりに耐える。道が山側に入って、上りきった所が大崎鼻だ。大崎灯台へはそこから、左に細い道を下り、途中の分岐を左に折れて、さらに下った道を上り詰める。小さな灯台には、地域の人々が植樹した公園があり、岬の尖端に突き出した展望台からは、右手に佐田岬半島、正面には宇和海の島々の背後に九州が見える。しかし、今日は素通り。山側の崖を切り落とした道を下り、木々に囲まれた道に入ってさらに下った。

三瓶へ

- 巴理島と養殖場 -
 「魚霊塔」の入口を過ぎて海をみながらスピードを殺しながら慎重に下る。下泊、神子の浜、また上って枯井と道は屈曲を繰り返し、小さな湾や岬のふところを縫うように続く。皆江から蔵貫、有太刀を過ぎ、赤崎の小さな半島を引き返すように曲がると、岬の鼻と指呼の間に福島が見えてくる。ここまで来ると、三瓶港はもうすぐだ。有網代のバス停を過ぎ、三瓶湾にそって右に1つ、曲がり、さらに左に曲がると、正面にケン食堂の看板とのれんが見えた。メーターを見ると吉田から60キロほど、丁度昼前になったので、店に入ると、「久しぶり。おっ、今日は自転車で」と笑顔でご主人が迎えてくれた。オムライスの大盛りを注文する。相変わらずのおいしさだ。店を出る時に、おかみさんが、みかんを二つもたせてくれた。

- ケン食堂のオムライス(月曜定休) -

 前回は正月に息子をとなりに乗せて車でここまで走って切り上げた。今日は、三瓶から八幡浜、保内経由で長浜をめざす。リュックには、まだ黒まんが少し残っていたが、三瓶に来て、米木の「ようかんパン」を見過ごすわけにはいかない。港に近いAコープという農協のスーパーで一個だけ買い、ミネラルウォーターを一本買って水筒を満たした。道筋には所々に自動販売機があり、水分の補給に心配はないが水筒だけは満たしておいたほうが無難だ。
 湾に面した井上鮮魚店を過ぎる。三瓶で獲れる天然の鯵に強い誇りを持ったいっこくなご主人が、有名な三瓶の「朝日文楽」保存会の会長をされていて、何年か前に「朝日文楽会館」で取材させてもらったことがある。
 三瓶湾は明治の地図に「奥地湾」と記されているくらい入江が深く、かつ長い。潮風を受けながらペダルを漕いでいるといろんなことを思い出す。詩人の故坂村真民は今の三瓶高校の前身である、山下汽船の山下亀三郎が慈母への思いをたくしてつくった山下実科高等女学校の教師をしていた。約4年間を三瓶で過ごした坂村は、地元のために「三瓶音頭」や「三瓶小唄」をはじめ、さまざまな校歌をつくった。生徒や土地の人々から温厚篤実な人柄を敬慕されていたという。現在の三瓶高校の校歌も坂村の作で作曲は「雪の降る町を」の中田喜直。「たちばなの花は薫り南の潮はひびく 海山の静かなるところ 真理を究めむひとみかがやき……」。坂村は校歌の他に旧制高校の寮歌のような「生徒歌」もつくっている。それは「古き瓶(かめ)にも 流れよる文化の祝歌 高らかにくみかわして 心静かに 新代(あらよ)の我(われ)をつくらむ」というのであった。
 選果場の先の朝日文楽会館を過ぎ、二及(にきゅう)、長早と比較的平坦な道をカーブを繰り返す湾に沿って走る。長早の先で少し上りになり、「待て数歩」という看板のある須崎観音の岬で引き返すように道が曲がる。そこで自転車を止め、すぐ前に見える巴理島(びりじま)の写真を撮った。水を飲み、みかんと黒まんを一個。一気に下ると三瓶と八幡浜の境の集落、周木に着く。

八幡浜から長浜へ

- 真網代 -

- ネズミ島 -
 小さなアップダウンを繰り返しながら進む。風が強いせいか、空気がますます澄んできた感じがする。吉田から三瓶までの風景もいいが、三瓶から八幡浜に到る海岸の風景も見ごたえがある。
春の飾り雛で知られる穴井、真網代などの集落の家並みの落ち着いた佇まいも味わいが深い。真網代保育園の前の古い倉庫と美しい石垣の写真を撮り、先に進む。しばらく行くと左手にネズミ島が見えてくる。この地方では知られた海水浴場だ。子供の頃泳ぎに行ったことがある家人は「水が冷たかったのだけ憶えている」と言っていたが、ちょうど干潮で陸と地続きになっていた。海岸に3人の女子中学生が座って話していた。少し短いがとがったしっぽまであって名前を裏切らぬ姿をした島だ。
 くじら病院の石の風車が勢いよく回転しているのを見て、逆風に向かって自転車を漕いでゆく。抜けるような空の色のせいか、さほど逆風は気にならない。川上を過ぎて舌間を通る。中腹に墓地と左氏珠山が生まれた御堂のある山を見ながら小さな港を左折すると、海の中に鳥居がある神社がある。そこから少し登っていくと諏訪崎だ。この辺りの風景も実にいい。諏訪崎から眼下に八幡浜湾と向灘のみかん山を正面に見て下ると、もう八幡浜港だ。三瓶から約20キロ弱。八幡浜港からは、湾の反対側にまわって新しい須田トンネルから保内町に出た。保内町の宮内から左折し、瞽女トンネルへ。峠を越える手もあるが、トンネル内の歩道が広いことと、時間の都合もあってこちららを選択した。トンネルを抜けて、喜木津から国道をはずれて旧道へ。海がずいぶん下に見え、風景のスケールが急に大きくなった気がする。登って下ると又国道に戻る。下りの磯崎トンネルは車道を走って、一気に抜ける。二宮敬作の像がある公園の下を過ぎ、磯崎の波止を左に見下ろしながらやや急な上りになる。上り切るとここから長浜までは、ゆるやかな上りと下りがあるがほぼ平坦な道だ。向かい風でもそれほどつらくはない。左手に瀬戸内海の島々や本州の陸地を見はるかす、岩場のすぐ上を道路が走っている。振り返ると金山出石寺の有る山並みが見え、右手には佐田岬半島が延びている。


- 舌間の神社 -


- 諏訪崎から見た八幡浜湾 -


- 磯崎、金山出石寺の山並みを振り返る -


長浜

- 長浜へ。岩場にそった道が続く -

- 大洲市五百原七福堂で一服 -
 長浜の手前で一気に下り、肱川の河口手前で右に入る。二百メートルほど先に赤橋と呼ばれる「長浜大橋」がある。ここで自転車を降りて写真をとり、橋を渡って町内に入る。坂本龍馬や吉村寅太郎が泊まったという説明板がある家を過ぎて少し行くと喫茶店がある。昼に通った時に食べたうどんのついたランチもおいしくてボリュームがあったことを記憶していた。やや長い休憩。ソフトクリームを食べた。親切なお店で、気安く水筒に氷と水を補給してもらえた。自転車屋さんが向いにあるのもいい。
 今日は、吉田からほぼ90キロ近く走ったことになる。国道56号線経由で車で走ると吉田からせいぜい60キロ弱ではないかと思う。この距離の長さは、国道378号線、とりわけ吉田から八幡浜の区間が、風景を楽しみ、さらに自転車を楽しむという点で、いかにリアス式海岸の地形をたもった変化と魅力に富んだコースであるかということを示している。その日は肱川右岸の県道を大洲まで走り旧市街の和菓子舗七福堂で一服、最後のやや長い坂道、鳥坂峠を上ってトンネルを抜け西予市へ。あとは勢いにまかせて法華津峠もトンネルで下り吉田の家に到着。ぜんぶで約150キロの行程であった。時速約22キロ、実走行時間約7時間弱、朝9時前に家を出て夕方5時過ぎに帰り着いた。
 国道378号線の続き、長浜から松山までは自転車でも何度か走ったことがある。伊予市三秋の坂があるだけでほぼ平坦なこれまた気持ちの良い道である。
 吉田からでも、通しで、松山まで走り、輪行で帰ることもできるし、松山に泊まって翌朝、砥部や久万方面から小田、内子、あるいは中山方面などと違うコースをたどって帰ることもできる。一人で走るのもいいし、気の合った少人数で走るのもいい。海から峠を越えて内子に出る峠もあり、走りの好みや季節、天気、体調などで決めればいいだろう。マイペースで安全第一にをこころがけさえすれば、わたしのようなズブの素人でも充分楽しめるところが自転車のよさだと思う。最近は車で走っていて、自転車でツーリングする人々を見かけるとなんとなく親近感を覚えるようになった。


- 長浜大橋 -


- 肱川と大洲城 -



- 鳥坂峠夕景 -

 学生時代の友人で、自転車雑誌「チクリッシモ」編集人、元「サイクルスポーツ」編集長宮内忍の主宰した南予自転車ツアーに同行した。宮内は、ずいぶん昔に、八幡浜のマウンテンバイクのコースを取材に来て、私にMTBを勧め、今年はロードレーサーを勧めた張本人だ。松山から国道378号を長浜まで下り、大洲経由で卯之町へ。一泊後、三瓶から国道378号線を吉田間で走り、知永峠、県道283号線で三間盆地へ、さらに、広見川沿いに、日吉、城川、肱川と走り内子で泊。翌日に内子から、大瀬、広田、砥部経由松山へというコースです。次回は、地元に住んで自転車は素人の私から見た自転車歴の長い人々とのツアーについて書きます。

 
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