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第100回 五十崎散歩
 
喜多郡五十崎町 
 五十崎を歩いた。和紙の工場をのぞき、前の道を山の方に上がった。古い御堂や田圃の中に建つ豪宕な民家、煉瓦造りの蔵などが待っていた。

 和紙の故郷
 小田川に架かる京都の宇治橋のような橋を渡り、堤防の上を通る道を川上に向かって歩いた。毎年の5月に下の河原で凧合戦が行われるときには、この道は見物に来た人出で溢れるが、今は地元のお年寄りが立ち話をしているばかりである。小田川には、台風が残した雨がまだ濁った水を流しているが、河原に聳える大きな榎木の上にはよく晴れた秋空が広がり、白い雲がぽっかりと浮かんでいた。好日である。少し歩くと、天神和紙のふるさという看板が見えた。昔、和紙の生産が盛んだった頃に工場で働く人たちの寮になっていたという長い木造の建物の手前を右に下りると、すぐ幅の広い道路に出る。その道路を横切った先が和紙の工場である。
 天神産紙工場
 大洲和紙の主産地である喜多郡の和紙の歴史は、10世紀末の遠い昔、正倉院東南院文書に、中男すなわち少丁(※律令制下、税や労役、兵役を課すために男子を、21歳から60歳までの正丁、60歳から65歳までの老人を中心にする次丁、17歳から20歳迄の少丁に分けた)に税を課す作物として紙があげられていることに遡るそうだ。
 江戸時代の17世紀中頃に大洲藩2代藩主加藤泰興が土佐の浪人岡崎治郎左衛門に御用紙を漉かせ、半世紀の後、17世紀末から18世紀初頭の元禄年間にかけて、越前から来た宗昌禅定門善之進(しゅうしょうぜんじょうもん)が五十崎町平岡で越前和紙の技術を広めた。
 江戸から明治の時代を迎え、大正、昭和の時代を通じて今日まで、大洲和紙は品質と生産量で常に全国の上位にあったという。(大洲、伊予全般の紙の歴史については村上節太郎『伊予の手漉き和紙』(昭和61年東雲書店刊)に詳しい)。
 現在もその由緒の正しい和紙の伝統技術を守って、生産を続けているのが天神産紙工場である。私は東京の友人にたのまれて、たまにこの工場に併設されている売店を訪れたことがある。お義母さんが和紙を使った貼り絵を趣味にしていて、ここの和紙を気に入っているのである。紙のことを何も知らない私は、いつも店の番をしているおばあさんに相談する。おばあさんは、背景に使う紙や、いろいろな花を表現するのに適した紙だとか、色の変化や、ちぎり方まで考えて、ゆっくりと選んでくれる。書道を趣味にしている友人のお使いをしたときも、いろいろ教えてもらった。半紙にしても、にじみ方の繊細な三椏を使った仮名文字用だとか、コウゾでつくる機械漉きの練習用の安価な紙だとかいろいろある。
 今日は、おばあさんにたのんで工場の中を少しだけ見せてもらうことにした。入口に近い部屋は脱水した紙を1枚ずつ剥がして仕上げる作業がおこなわれていた。奥の広い室内では4人の女性がコウゾを原料とする障子紙と、三椏でつくる書道用の紙を漉いていた。しばらく、写真を撮らせてもらった後、礼を言って表の通りに出た。
 煉瓦の蔵
 売店と工場の間の昔からの道を山裾の香林寺の方へ向かって歩き始める。工場が途切れる四つ辻を過ぎ、少し歩くと、次の四つ辻には左手に古い御堂がある。細部の彫刻や屋根瓦のつくりがとても繊細で美しい建築である。天神和紙の売店のおばあさんに、子供の頃に大水が出た時、川から工場の前の道がずっと、この御堂のあたりまで水没し、お父さんが船を漕いで人を運んだのを記憶しているという話を聞いたことがある。御堂を過ぎてしばらく行くと右側の田圃の中に、いい加減に言うと、縄文時代の住居のような、小さな藁葺きの屋根が見える。左手には、美しい低い生け垣が続き、畑と庭園に囲まれた宏壮な民家が建っている。2階の窓がみな柔らかい和紙の色でおおわれていて美しい。障子かと思い、もう1度見直すと、雨戸に和紙を貼りつけているようにも見える。いずれにせよまわりの生け垣や、小さな瓦葺きの門、田園に囲まれた佇まいに見とれてしまう。表札を見ると、凧の研究や『伊予の手漉き和紙』の著者として知られる地理学者で元愛媛大学教授の故村上節太郎博士(1909~1995)の生家であった。村上博士の家を過ぎて、すぐ道を左に折れる。博士の邸の背後のお宅にも洋館の書斎のような建築が建てられていて、これもまた美しい。門の脇には、緑泥片岩でつくった小さな祠があって石の御大師様が座っておられた。すぐ先で突きあたった道を今度は右に折れる。しばらく緩い坂を上っていくと、右手に美しい煉瓦のたてものが見えてくる。五十崎町平岡の旧里長であった栗田家の蔵である。蔵の手前を右に折れ、塀続きに周囲を圧するように巨大な栗田家の主屋を右に眺めながら、稲の熟れた田圃の中を通る道を歩く。栗田家の建築は長州大工が建てたものという。立ち止まり、振り返り、栗田家を眺める。屋根の重量感に圧倒される。主屋右手に建つ腰壁が煉瓦の蔵もまた見事な建築だ。
 田圃を隔てて、左手の前方には香林寺が見える。右に行くと村上家を経て、天神産紙工場にもどる道を通り過ぎ、小田川の橋からまっすぐに伸びてきた道に出る。右手にメダリオンのある洋館がある。昔の警察署であったそうだ。荒れ果ててはいるが、これはこれでなかなかいい。
 酒蔵へ
 この道を、小田川に架かる橋の方へ歩いて下り、雛あられの美味しい和菓子舗石崎一心堂を過ぎて、古風な店の連なりを楽しみながら帰るのもよい。しかし、今日は香林寺の下を通って坂を上がり、少し先の「千代の亀」亀岡酒造まで足を伸ばすことにした。この酒蔵は、森まゆみが自著に因んで命名した『鴎外の坂』だとか、あまりに高くて0.18リットル瓶にも手が出ない『銀河鉄道の夜』という氷らして飲むお酒だとか、中身の味はもちろん、名前やラベル、瓶のデザインに凝りに凝ったラインナップで知られる。文学の香りとお洒落なデザインに惹かれるファンも多い。私は酒の味には無縁だが、いつか「鴎外の坂」が東京で人気を呼んだ頃に何人かの友人に送ってみた。感想は様々だったが、わが『あけぼの』に「東京の子規」を連載中の作家井上明久さんはいちはやく「鴎外の坂」を「僕はおいしかった」と私に告げてくれた。今日は、亀岡酒造の新作『草枕』と『子規』の小さい瓶を1本ずつ、井上さんに送ってみた。なぜ、その名前をつけたのか、由来は知らない。しかし、漱石の「草枕」と子規、名前だけでもおいしいではないか。実際の味については、そのうちに井上さんから便りが届くに違いない。愛嬌のある猫の写真を撮って、来た道を下った。

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1996-2012


五十崎町平岡の天神産紙工場 。大正の最盛期には紙漉の槽が50槽もあったという。日本で常に上位の和紙生産量を誇ってきた。
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小田川沿いに建つ製紙工場の寮として使われた建物


毎年5月5日に凧合戦がある小田川の川原に建つ大榎

和紙と凧の研究で知られる村上節太郎博士の邸の門。
博士は「冬は朝早く楮をたたく音が寝床の中まで聞こえ、紙漉唄も印象に残っている」と故郷の思い出を記している。

天神産紙工場からの古い道にある御堂。

天神和紙の売店。
半紙、手工芸用の和紙、障子紙、便箋、封筒、ハガキから、和紙のパソコン用紙まである。工場見学や紙漉体験の予約もここで。

天神産紙工場から続く道。右手の生垣が村上邸。

亀岡酒造
TEL(0893)44-2201